池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

ビザンツにおける決闘または英雄的行動について

ACCOUNTS OF SINGLE COMBAT IN BYZANTINE HISTORIOGRAPHY: 10th-14th CENTURIES
(ビザンツ歴史文献における決闘の記録-10-14世紀-)

(PDF) ACCOUNTS OF SINGLE COMBAT IN BYZANTINE HISTORIOGRAPHY: 10th-14th CENTURIES | Savvas Kyriakidis - Academia.edu
知らないことだらけだったので面白かった。


ノー英語スキルで、読み返すのが苦行なのでまとめておく。

 ビザンツ中期になると歴史書に一騎打ち(または指揮官の英雄的行動)の記述が増える。
7cのヘラクレイオス帝の記録に1つ例がある以外は10世紀まで見られない。

 歴史的にはプロコピオスも書くように指揮官は英雄的行動を行うべきでなく、戦略的な行動を心掛けるべきという考え方があったと思われるが、9世紀以降の軍事貴族の隆盛に伴って個人の英雄的行動を称揚する立場が見られるようになる。

 例えば921年のアドリアノープル防衛においてパトリキオスのレオが行った行動について、スキリツェスは”戦いの中での彼の軽率な行動”のため「愚か者のレオン」と呼ばれたと記述するが、一方で続・テオファネスでは「勇敢なレオン」と誉める記述がある。
 聖人伝の変容も9世紀より起こっている。テオドロス=ティロンがアナトリアの軍の守護聖人となったように、軍事貴族たちは聖人を受容した。9世紀以降の聖人伝は、かつては些細な記述であった竜殺しの逸話を物語の中心に据えるようになる。
将軍の理想像として聖人は見られていたのではないか?
 11世紀に入ると、ホメロス旧約聖書の価値が上昇する。一騎打ちや英雄的行動の描写にホメロス旧約聖書の内容を参照した記述が散見されるようになる。
 ケカウメノスは兵士たちに、旧約聖書は戦術の物語であるとして読むことを推奨した。また、西欧の価値観(騎士道など)の流入も見られる(マヌエル1世など)
 ブリュエンニオスがイリアスを用いて祖父の勇敢な行動を称える一方で、アンナは父アレクシオスの勇敢さを描くものの原則としてはオデュッセウス的な戦略的な皇帝を称える記述を行う。
 また作品ディゲニスアクリタスの主人公ディゲニスは、まさに軍事貴族的な価値観の体現者である。

 一騎打ちの記述の増加は9世紀以降の軍事貴族の台頭と強く関連している。


という内容、だと思う。

軍事貴族の一族の内側の結束と対外的な宣伝のためには、個人の英雄的な行いを喧伝するのが最も効率的ということなのだろうか。

コニアテスの『歴史』から、ヨハネス2世のキリキア遠征時のアルメニア貴族コンスタンティヌスと兵士エウストラティオスの決闘部分の英訳が出ていたが、いずれ前後含めて読んでみたい。