井上浩一『歴史学の慰め』白水社2020
読み返していると地味にあんまりな評価をされてるブリュエンニオス氏を弁護したくなったので書く。
本文中には以下のような記述がみられる。
p206
ブリュエンニオスは真正面から正々堂々と戦う古代人を理想とした。軍人の家系に生まれながら、どちらかと言えば学問に親しむことになった男の精一杯の自己表現であろうか。
P210
ブリュエンニオスは、敗者となった祖父を称えるためにローマ人の戦争観を『歴史』に取り入れた。
P217
祖父の英雄的な戦い方を称えるブリュエンニオスはビザンツ人らしくないと言われても仕方あるまい。
以上の様にアンナの『アレクシアス』と比してブリュエンニオスの英雄的な行動への賞賛を『イリアス』と『オデュッセイア』の対立と例えつつ、ビザンツの歴史的伝統に反するものと批判的に記述している。(と読んだ)
で、先日ちょうどこのようなものを読んだのだけど、
Savvas Kyriakidis,ACCOUNTS OF SINGLE COMBAT IN BYZANTINE HISTORIOGRAPHY: 10th-14th CENTURIES
https://www.academia.edu/37462947
そこから拝借して考えてみるに、
ブリュエンニオスより以前の時代の歴史叙述家であるLeo the Deaconは指導者ではないものの兵士たちの英雄的な戦闘を描いている。
また、スキリツェスは指導者であるバルダススクレロスと同フォカスの一騎打ちについて描いている。
さらに後代のキンナモスやコニアテスも兵士の英雄的行為や皇帝マヌエル1世の英雄的戦闘の記事を書いている。
ついでに言うとアンナもアレクシオスの英雄的戦闘を書いてはいる。
この流れの中間に位置するブリュエンニオスが、祖父の英雄的行為を称える記述を自らの著作で書くことに関し、何か特別な理由付けが必要とは個人的には思えない。
勿論祖父の賛美に都合が良いというのは当然あったとは思うが、ブリュエンニオスは当時の一般的な軍事貴族の価値観を持っていて、かつ当時の一般的な歴史家だったというだけに思える。
つまり、「精一杯の自己表現」として「正々堂々と戦う古代人を理想とした」のではなくて、それは当時の軍事貴族の価値観だったのではないか?
「祖父を称えるために」わざわざ過去の「ローマ人の戦争観を『歴史』に取り入れた」わけではなく、昨今の歴史家が用いていた叙述を用いたのではないか?
つまり「ブリュエンニオスはビザンツ人らしくない」のではなく、むしろその当時の「ビザンツ人」らしい人間だったのではないか?という疑問が浮かんでくる。
少なくともイリアスの、アキレウス的英雄観はすでに当時の歴史叙述では使われていたし、どう評価されたかはともかく「利用可能」なモノであったように個人的には思えるし、
アンナこそがむしろ当時の価値観から比較的離れた存在(父を称えるために持ち出したのだとしても)なのではないか、と思ってしまうのだが。
なんとなく病死だったり、皇帝に反旗を翻さなかったり、イマイチ武勲がなく、学問に長じていたので、なんとなく優男扱いされてる感あるけど、そんなこともないのではないかなぁ。
当代の水準以上の軍人であり教養のある著述家のクソ渋い髭面のイケメンが脳内再生されている。