ちょっと自分の暗黒の思いを供養しておきたいので
叫びの壺が必要。
端的に言ってこの本、読む価値ないです。
井沢元彦『逆説の世界史1』小学館
序章(p8-p36)
さすがに基本的な事実すら調べず(知らず)に本を書くのは流石にどうかと思う。
・歴史を見る手法について
まずは現状の歴史研究者批判で始まる。
要旨としては
歴史研究者は視野が狭く、歴史の連続性を見ないで個々の事例を分析しているとし
そのうえで自分は「広く浅く」歴史の連続性を重視し、一般人に歴史をわかりやすく理解できるように本を書いたと書いている。
"歴史学では歴史はそもそも「繋がり」であることが無視される"(p9)
"各時代の専門家が参考にできるような「繋がり」を述べた通史も存在しなかった"(p10)
無視してる人、ほとんど見たことないですけど。
さて、その方法として著者は「比較」を挙げる。
実例として
15世紀のスペイン船 コロンブスのサンタマリア号
17世紀の日本船 北回り航路で使用された北前船
の二隻を挙げ、日本人は北前船を新しい船というが、世界の常識ではサンタマリア号を新しいと判断するという。
根拠は北前船は1本マストの1枚帆、サンタマリア号は三本マストでかつ帆が複数に分かれているから、と主張する。
"お気づきのように、日本人は複数マストのサンタ・マリア号の方が優秀な船だという認識がない。だから単純に使われた年代で判断してしまう" (p12)
なぜこの遅れた船を使うハメになったのか、それは江戸幕府が海外貿易を禁止していたからだ、とくる。
なぜか、教科書に書いてない!なぜか!歴史家が知らない、なぜか!海外と比較しないから!これが日本人の歴史観の盲点だ。と主張する。
アホらしい
そもそも沿岸航海を目的とした北前船(弁財船)と、遠洋航海用のキャラック船を比較する意味が無い。設計目的が違う船を並べてどちらが優れた船かなどと問うことになんの意味があるのだろうか。比較は成り立たない。
必要のないものを作る必要はない。それは大正時代に至るまで、キャラック船以上に進展しているはずの西洋帆船は(コストの問題はあるにしろ)普及せず、日本国内において弁財船が作られ続けたことからも明らかである。
それでも江戸幕府の海外貿易禁止が技術の進展に与えたマイナス影響はあるという事実は変わらないと思う人もいるのかもしれないが、技術史舐めすぎでは?
せめて三本マストのバルシャ船だとかコグ船辺りと比較するべきだった。
たぶん言いたいことは書けず成立しないだろうが。
キャラック船の技術優位を書いていたが、例えばキャラック船よりはるか昔から存在する中国のジャンク船には、マルコポーロが13世紀に東方見聞録で報告したものの西洋の船が18世紀まで採用しなかった隔壁が存在するなど技術の進展は一様ではない。
マストが多いとか帆が多いだけで進んでるとか言えてしまうセンスには感動する
遣唐使船の話でもするか?複数マストだぞ。
さておき北前船が技術的に停滞しているわけでもないが、江戸時代の停滞を言いたいならせめて朱印船(唐船と南蛮船のハイブリッドと言える)とその後継船の話と絡めるべき。
著者の視点は狭く浅い。
結論が正当であるかにかかわらず分析の手法の未熟さ、知識の不足、思考の浅さが目立って厳しい。
宇宙人の視点で地球史を見るの部分、他者との格付けについての話が気にかかるところではあるが言いたいことはそれなりに理解できる。
著者には荷が重かったようではあるが。
・技術伝播などについて
どこから書けばいいのかがわからないレベルの事実誤認である。
"古代インドからギリシャ・ローマ文明を経て発達した数学および化学は、キリスト教がすべての基準とされた中世ヨーロッパではことごとく弾圧され、本は焼き捨てられた。異教・邪教の文化など必要ないということだ。
では、その中世ヨーロッパの暗黒時代、ギリシャ・ローマの文化を継承し、改良し、発展させたのは、どの文明か。イスラム文明なのである。"(p19)
これについてはtwitterで少し書いたのだが、
古代インドから直線的にギリシャローマ文明を経たわけではなく、それぞれ時に交流しつつ別の進展を見せているし、キリスト教中世ヨーロッパが積極的に焼き、棄却した例は異端の書物を除いてあまりない、ほとんどの古典古代の書籍の喪失は忘却と火災である。これらの破壊についてはフェルナンド・バエスの『書物の破壊の世界史』が詳しい。
また、保存と継承についてはレイノルズらの『古典の継承者たち』が詳しい。
こちらは現在入手が困難なので前者をお勧めする。
さて、いわゆるビザンツ帝国では古典古代の書物は1204年と1453年という断絶を除いて大いに保存され、写本も作られ続けた。
科学書という点でいえば例えば七代カリフ、マアムーンはプトレマイオス、ガレノス、アルキメデス、エウクレイデスなどの写本をコンスタンティノープルやヨーロッパ、旧ローマ帝国領等に求めた。
著者はビザンツ帝国を中世ヨーロッパに含めないかもしれない。
したがって西ヨーロッパの事例を挙げておくと、今日にラテン・ケルトの著作を残すのに貢献したアイルランドの修道士たち、アルクィンらにより整備されていく中世ヨーロッパの修道院、ヴァチカンの図書館などを挙げておく。特にヴァチカンの図書館はすごい。
また、改良、発展の経緯についてもビザンツ、イスラーム間だけでなく現在のスペインやシチリアにおける交流を抜きに言うことはできない。期間や頻度は違うにせよ相互に交流しつつ発展していったことを否定できる材料はあまりない。
イスラームがギリシャローマの文化の継承、発展に重大な寄与をなしたこと自体を否定することはだれにもできないが、イスラーム単独の貢献であるように書くのは誤りと言える。
・蒸留酒が飲めるはイスラームのお陰
アルコールを含めて蒸留を大々的に展開したのは確かにイスラーム世界であり現代のアランビックはまんまアラビア語由来だが、もともとはギリシア世界のアムビックであり、酒の蒸留についてはアリストテレスがワインを蒸留しているし、蒸留器などについては4世紀のギリシア人のエジプトのゾシモスの著した錬金術の書などがあり、ゾシモスについてはコンスタンティノープルで錬金術の書が作られたときに引用されたりしている。(つまり保存されていた)中世ヨーロッパを貶めたいのは伝わってくるけど、正直モノ知らなすぎない?
アル・アムビックでアランビックというのは容易に想像できる。また江戸時代ごろに西洋経由で伝わった際にランビキと呼ばれている。
もうずいぶん飽きてきたが12pしか進んでいない。
正直いろいろ言いたいことはあるが序章の最後まで一気に進んで、おそらく調べもせず感覚だけで書いているであろう一節を引用してから最後のコメントをする。
”上質な紙に墨で書かれた文字は保存状態が良ければ何百年経っても劣化しない。
この点、羊皮紙という、羊の皮を使って作られた「紙のニセモノ」との大きな違いだが、羊皮紙に書かれたインクはわずかな期間で劣化し、たちまち読めなくなる。”(p31)
中世のヨーロッパでも紙は使われたが、パピルスほどではないにせよ保存には大変苦労していたことが記録に残っている。羊皮紙が大々的に使われなくなった理由は紙の質の向上とその安価さのためであって質が悪いからではない。
「紙のニセモノ」たる羊皮紙はパピルスや紙に比べると非常に保存に優れており、例えば「死海文書」などの旧約聖書の羊皮紙は2000年程度前のものであるが読むことができる。
この事実を示しておけば、この文章がなにも調べずに書いただけの文章であることは示せる。
絵具を乗せる装飾写本などでは表面加工をしてつるつるにするなど、加工性にも優れており、インクの乗せ方も調整可能であり、わずかな期間で色褪せたりはしません。
例えば1000年以上前に作られた装飾写本であるケルズの書を提示しておきます。
紙の素晴らしさは否定しないし、事実その影響力は凄まじいものがあるが、あまり調べもせずに書くのはいかがなものかと思う。
ヨーロッパ、とくにビザンツ世界においては紙とパピルス、羊皮紙は平行して用いられていた。紙は安く、保存しない書き物にパピルスより適するとして、パピルスと徐々に置き換えられる形で導入された。事実ペーパーは、パピルスの後継であり、入れ替えられたのである。起源を隠すためという著者の陰謀論はあたらない。コンスタンティノープルでの最後のパピルス使用の記録は11世紀である。以後は紙に切り替わった。モノしらんのはしゃーないが、脳内妄想を書くなよ。
こう書くと、私は知っていたが、そう認識する人が多いのが問題なのだ、とか言って逃げそうな気はする。
ちょっと過激な部分は脳内ユダヤ人等に代弁させてるし。
全体的に調査不足で知らないことをさも知った風に書いているのであろうことが明白であり、さすがに誠実さを感じない。せめて百科事典でも引けばいくつかの点において、すぐにでも誤りに気付くであろうに。
紙の名誉のために付記しておくと、2000年程度前の中国の墳墓より初期に製造された紙に書かれた文書が出土しており、紙の耐久性が必ずしも低いわけではないことは書いておく。
あと、近年の歴史学が否定しつつある史的唯物論、直線的な発展観辺りに色濃く影響されているのも気になる。逆説なんじゃないの?
編集者は何をしているのだろうか。
心が暗黒面に支配されて結構腕とか血管血走ってるから危険なので、医者にこれ以上(p36)続きは読まないと誓った。
(読んだけども)