池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

生活保護云々

 日本人というものが大いに儒教思想に影響を受けていることを鑑みるに、日本人の美徳というものももちろん儒教の影響を色濃く受けることに成るだろう。

 そう考えると片山がしたこと、というのは容認するのはなかなか難しいものだ。

ただ、そもそも儒教的立場であれば、一族を扶養できないことは恥であるし、できるのにしないのはもっての外ということになる。まして外部に頼るなど、という話である。


「禮不下庶人、刑不上大夫」

 礼もなく、刑も避ける、いいとこ取りの人間を儒教的慣行が跋扈する日本の世間が認めるわけもなく、揉めに揉めている。
 決着は「お上」が現代的な法をもって罰する事のできるようにするというあたりに落ち着くんだろうか。それとも、日本的美徳からの離散で終わるのだろうか。

衣食足りて礼節を知るというが、「自由闊達」な学校教育でもって礼節を学ぶ場は漸減していく、それにつれ、衣食足りて利己を知る事態が増加するのは当然だろう。

 正直「日本的美徳」の未来は限りなく不透明だ。

 礼節を持ち合わせない、庶人上がりの士大夫気取りが今回の騒動を引き起こしたのだから、国を憂う礼節を知る御仁は礼節を知ればこんなことはできないなどと、やり過ぎの士大夫の礼節をなじる前に、適切な刑の取り扱いを検討し、然る後に礼節知らずの士大夫に剣を渡して自害を求めればよろしい。