twilog消えるらしいので読書系のツイは個別でまとめとかないとですね...
とりあえずこれから。
『クィアな新約聖書』届いた
— modestia (@modestia_) 2023年3月28日
聖書系は読む前に偏見を仕込んでから読むことにしているので、とりあえず著者欄と初出を。
ということで、読みます。 pic.twitter.com/JWimx3Moq3
序章了
— modestia (@modestia_) 2023年3月28日
現代的な異性愛のフィルターで読む解釈を、現代的なクィアのフィルターで読みなおす、という雑な枠組みを提示されるとちょっと困惑する。
両方ダメでしょ感しかない。
現代の宗教としてはそれでいいのかもしれないけど。
1章了
— modestia (@modestia_) 2023年3月28日
当時の共同体の話が出てきて前ツイの疑念はやはり方便なのね、と。
注25が面白い。
しかし、師弟であり信仰でない以上、確認するのは愛であるという話、自明という感じで流されてるけど、当時の師弟関係を愛で確認した記述みたいなのが残ってんだろか。知らんけど、ちょい調べてみるかねぇ。
と、その時は考えたが、最後まで読むと、視点はあちこち飛ぶし、批判の矛先も自由自在で、統一的な話にはなってない。
結局のところ、現在のクィアな読者層への現状肯定の理論づけという性質を強く感じる書籍だった。
ここら辺追加で入手しますかね
— modestia (@modestia_) 2023年3月28日
男同士の絆https://t.co/x3BGhQs5X0
古代ギリシアの同性愛https://t.co/DXi0Lh8X9i
4月中に入手できる予定です。
ここはちょいと拡げておきたい。
(読んだので最後尾に追記します)
2章了
— modestia (@modestia_) 2023年3月28日
疑問が読み進めると色々回収されていくのは素人にありがたく、読みやすい。
知識不足でなかなか進まないが注も面白い。
そういえば、20年ほど前に"神父"さんから最愛の弟子について本書の解釈につながるような、違う読み方が存在すると聞いたのを思い出した。
— modestia (@modestia_) 2023年3月28日
そして、ヘッセの『デミアン』の一節も。
そこら辺の神学上または歴史上の問題にも、触れられてたら勉強になりそうだな、とか思うなどした。
今日はここまで。 pic.twitter.com/9YSR53eN37
3章了
— modestia (@modestia_) 2023年4月1日
ヨハネ一五なんかを考えるとどうにも釈然としないなぁ。
(参考)
ヨハネによる福音書 15 | 新共同訳 Bible | YouVersion
p.110
— modestia (@modestia_) 2023年4月5日
"内包するジェンダー・バイアスの問題を明確にするために、古代の男性、宗教改革期の男性、現代の男性、現代日本の男性、現代の女性にあえて区分して"
4章了
— modestia (@modestia_) 2023年4月5日
代名詞の活用形から、古代以来の家族説、夫婦説が当然否定されるのだとすると、なぜその不自然な代名詞が連綿と続く写本製作の際に、その"異性愛"文化のもとで千年以上誤写なり修正もなされることなく、現代まで活用が保存され、かつ指摘もない、というのはなかなか想像しがたいが、どうなんだろ
自分は写本の系統と現代の聖書の記述について特に詳しい訳ではないので単純に気になるという話なのだけど、例えば現代でもプロテスタントの主の祈りの最後に頌栄が挿入されているように、聖書の本文は徐々に変化してきたはずで、そうした家族夫婦説に適した活用形の本文の存在が当然想定されると思うのだが、存在しているんだろうか。
5章了
— modestia (@modestia_) 2023年4月11日
エッセネ派あたりの評価はどうなるんだろ
別に原初キリスト教集団を待たなくても、そうした性質の宗教集団は存在しましたよね。それこそ近いところではエッセネ派が。
6章了
— modestia (@modestia_) 2023年4月11日
5章で言ってたことは何だったんだ...
まぁ、ヨハネが「おかしい」という説明で済むのかもしれないが。
— modestia (@modestia_) 2023年4月11日
7章3
— modestia (@modestia_) 2023年4月11日
少なくとも東方の博士については、出産直後という解釈は後代のはずでは。
そもそも羊飼いにしても出産当日すぐという話ではなかったはずだし、博士に至っては2年後という解釈すらあったはず(少なくとも書かれて数百年の間、アウグスティヌスが余計なことを書くまでは)どこの誰、または共同体の理解に基づいてクィアな読みや批判を立てているんだろうか。
ルカの考え方批判で後代の解釈前提でマタイの話題だしてくるのは流石にテキトー過ぎるんじゃないかね。
— modestia (@modestia_) 2023年4月11日
8章了
— modestia (@modestia_) 2023年4月12日
7章p.175でマリアの出産直後の回想の記述はルカの出産への見立ての甘さ、女性蔑視を示していると書いておいて、8章でp.188で同記述を一人出産に煩悶する姿が読み取れる、などとそこに事実を読み取るしぐさ、さすがにどうなんですかね...
劇作家の舞台台本の新解釈くらいの話なら面白いと思いますが、どう全体の整合性を確保しつつ読むつもりなんでしょうか。
あと、肉体を伴う性交が前提でなければ、マリアはイエスと血縁関係にない、という話、ちょっとよく分からんな。
— modestia (@modestia_) 2023年4月12日
現代的な「遺伝子」という「フィルター」で「血縁関係」を読み直してどーすんだ、という感じ。
ちょっと読み進めるのがばかばかしくなってきたな。
— modestia (@modestia_) 2023年4月12日
現代の人間には意味がある問いなんですかね...
9章
— modestia (@modestia_) 2023年4月12日
面白い。
寄り道している
「ソドムの罪」は同性愛か : 「他の肉を追い求め
る」(ユダ7節)をめぐってhttps://t.co/crSseW7LK7
少なくともユダ7について、辻氏とは全く違う解釈で論争のある部分を処理して批評しているみたいですね。
— modestia (@modestia_) 2023年4月12日
この件、昔読んだ記憶があったのでちょっと寄り道して読み直しに行ったんですが、ほかの自分が知識のない部分での論建てもちょっと誘導的で怪しいんじゃないかねぇ。という感想を持ちました。
さて、そんなわけで『クィアな新約聖書』読了
— modestia (@modestia_) 2023年4月12日
なんというか、批判の基準点が散らかっており、かつ、つまみ食い的に論を構成しているように見受けられるのが気になりますね。
また、各"書"の執筆者または共同体の意図をイエスの意図とを意図的に混同して解釈している記述も気になるところ。
現状を肯定する部分を聖書から見つけよう、という方向性では使う理論なんですかね?とか冷めた感じで読んでしまいました。
ただ、この手の批評が蓄積されて「統一的」かつ整合性のある解釈が生み出されてくるのはまさに「これから」なのだろうし、引き続き追っかけていきたいですね。
(追記5/10)
『古代ギリシアの同性愛』を読む限り、師弟愛に同性愛的な要素があるにしても、
稚児にたいして念者が性的欲望を示すのは不名誉だし、また稚児が念者を誘惑するのは不名誉という規範が、実態は違う可能性は有るにせよ存在しているという事実からして、ヨハネ福音書で追記されたという話であるならば、その目的は最も愛する弟子との師弟関係の強固さを表すというよりは、むしろ最も愛する弟子の名誉を傷つけるものという解釈も成り立ちそうなものだけど(それでいてイエスの権威は揺るがない)そこら辺の説得的な説明はつくんですかね?
古代ギリシアの師弟愛についての記述はあまり存在はしていなかったので、関連書等を探してみたい。