池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

クィアな新約聖書 ツイまとめと補足

twilog消えるらしいので読書系のツイは個別でまとめとかないとですね...

とりあえずこれから。

 

 

と、その時は考えたが、最後まで読むと、視点はあちこち飛ぶし、批判の矛先も自由自在で、統一的な話にはなってない。

結局のところ、現在のクィアな読者層への現状肯定の理論づけという性質を強く感じる書籍だった。

 

 

4月中に入手できる予定です。

こはちょいと拡げておきたい。

(読んだので最後尾に追記します)

 

(参考)

ヨハネによる福音書 15 | 新共同訳 Bible | YouVersion

 

 

 

 

自分は写本の系統と現代の聖書の記述について特に詳しい訳ではないので単純に気になるという話なのだけど、例えば現代でもプロテスタントの主の祈りの最後に頌栄が挿入されているように、聖書の本文は徐々に変化してきたはずで、そうした家族夫婦説に適した活用形の本文の存在が当然想定されると思うのだが、存在しているんだろうか。

 

 

別に原初キリスト教集団を待たなくても、そうした性質の宗教集団は存在しましたよね。それこそ近いところではエッセネ派が。

 

 

そもそも羊飼いにしても出産当日すぐという話ではなかったはずだし、博士に至っては2年後という解釈すらあったはず(少なくとも書かれて数百年の間、アウグスティヌスが余計なことを書くまでは)どこの誰、または共同体の理解に基づいてクィアな読みや批判を立てているんだろうか。

 

 

 

劇作家の舞台台本の新解釈くらいの話なら面白いと思いますが、どう全体の整合性を確保しつつ読むつもりなんでしょうか。

 

 

現代の人間には意味がある問いなんですかね...

 

 

この件、昔読んだ記憶があったのでちょっと寄り道して読み直しに行ったんですが、ほかの自分が知識のない部分での論建てもちょっと誘導的で怪しいんじゃないかねぇ。という感想を持ちました。

 

 

現状を肯定する部分を聖書から見つけよう、という方向性では使う理論なんですかね?とか冷めた感じで読んでしまいました。

 

ただ、この手の批評が蓄積されて「統一的」かつ整合性のある解釈が生み出されてくるのはまさに「これから」なのだろうし、引き続き追っかけていきたいですね。

 

(追記5/10)

古代ギリシアの同性愛』を読む限り、師弟愛に同性愛的な要素があるにしても、

稚児にたいして念者が性的欲望を示すのは不名誉だし、また稚児が念者を誘惑するのは不名誉という規範が、実態は違う可能性は有るにせよ存在しているという事実からして、ヨハネ福音書で追記されたという話であるならば、その目的は最も愛する弟子との師弟関係の強固さを表すというよりは、むしろ最も愛する弟子の名誉を傷つけるものという解釈も成り立ちそうなものだけど(それでいてイエスの権威は揺るがない)そこら辺の説得的な説明はつくんですかね?

 

古代ギリシアの師弟愛についての記述はあまり存在はしていなかったので、関連書等を探してみたい。