池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

ブワイフ朝の政権構造 読書ノート 1-4章

橋爪 列 「ブワイフ朝の政権構造」 慶応義塾大学出版会 2016

借りてきて読んでいるが面白いので見返し用

1章

1世代目からアドゥド・アッダウラのブワイフ政権の統一期まで

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時系列

ブワイフ朝と纏められるものについて

 

・称号について

カリフから与えられるアミール等の称号や権限は一族にではなく個別に与えられている。(結論の一つとして、カリフからまとまった勢力と見なされていなかった、という記述があるがそこまで書くと言い過ぎではないかと思う。)


・命令系統について

軍事面において、ルクンやムイッズがアミールとして独立した以後に、イマードが一方的に命令した事例はない。

・人事面

同様に要請はあっても命令ではない。

ムイッズがカリフをすげ替えた際に、特に意向を伺った痕跡がない。

また、イマードが後継者としてルクンの息子アドゥドを後継者としてもらい受けた際も要請による。更に継承範囲は自己の統治範囲のみで、弟の領域を含めた痕跡はない。

従って3政権は基本的には独立している

・リアーサ

集団の中における権威、序列の様なものを指す。

この権威によって、3政権は緩く結合していた。

自身の勢力の困難な時においてもリアーサを持つものに要請された場合、
万難を排して救援に行くし、内訌の際もリアーサを持つものに調停された場合これを聞いた事例や、内訌の際、ブワイフ家のリアーサを持つものがどちらであるかが問題とされる事例を紹介している。

カリフからの承認だけでなく家内からの承認を得なければ一族を指導できない。

アミール<ブワイフ家のリアーサ

・アミールとマリク

ブワイフ家内におけるマリク認識、コイン上の自称、カリフからの公的な呼称としてのズレが見られる。

カリフからの呼称はアドゥドの勢力拡大との関係が深い。

ブワイフ家はカリフから任命されたアミールではなく支配者たるマリクである。

・アドゥドとカリフ

カリフに自分の娘を嫁がせ外戚となろうとする。→失敗

スルタン・カリフの枠組みとは異なる形。

 

2章

先行研究では「ダイラム軍団からアトラーク軍団への移行」という見方。

問題点:イラクの事例、さらにはムイッズのアトラーク重視が過度に強調されている

 

イラクでの事例6点を検証

1.イラク進出中

5年間一進一退の情勢の際、ダイラム君侯が裏切る
2.バグダッド入城後
配下のダイラム君侯がカリフの宴会に招待、寝返りを示唆されたのではという疑惑が生じる。のちにカリフを挿げ替える遠因となる
3.給与未払い

配下のダイラム諸兵より面前で罵倒される

4.クールキールの反乱未遂

イラク政権内のリアーサを求めて反乱

5.イスファフドゥーストの反乱未遂
妻の兄弟であり有力なダイラムがフカし過ぎてムイッズの権威を落とす
6.サブクタキーン麾下の反乱
ムイッズのグラームの下につくことを良しとしなかった、
ルーズビハーンを除くダイラムの反乱

7.ルーズビハーンの反乱
ムイッズとistana'aの絆があり、唯一反乱に参加しなかった、非常に信頼しているダイラムの反乱。更にはダイラムへの給与未払いもあり、反乱は拡大。

8.サブクタキーンの反乱
アトラークの反乱、イッズはダイラムを用いてこれを鎮圧する。

イラクの事例に反し、二人の兄に対してダイラムが反乱した事例はほとんどない。

ムイッズ個人が侮られていた

 1.若い

 2.戦歴が浅く、戦功もあまりない

 3.軍事的能力に猜疑がある 

 4.そもそも元は兄達のイマードやルグンの同僚であった

 5.金や権限くれない。

 

しかし、兄の同僚でなく、自らの子飼いのルーズビハーンの反乱以降、

ムイッズはダイラムからアトラーク重視に政策を改める。

 

しかし、その子、イッズはアトラークの反乱に際し、その姿勢を改める。

イラク以外

イマード、ルグンらの権威と実力はダイラムの反乱を未然、または軽微に留めた。

また、ダイラムはアトラークに対して軍事、精神的、コスト面で優位に立っており、重視されていたことが示される、

また、権威の継承の際、ダイラム君侯からの支持の取り付けが不可欠であったという認識をアドゥドが持っていたことが示される。

さらにイクターがダイラムにも分配されていたこと、

ブワイフ家のすげ替えすら画策しかねないダイラムの強力さと強欲さが示される。

・結論

「ダイラム軍団からアトラーク軍団への移行」はイラクにおける事態であり、

それすらイッズの時代には放棄され、ブワイフ朝における全体の進行として「ダイラム軍団からアトラーク軍団への移行」という動きは確認できない。

 

 3章

対外関係について、またはサーマーン朝ホラーサン総督とジバールの境界域

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ジバールとサーマーンの境界域、タバリスタン・ホラーサンが係争地となる。


・サーマーン朝の4度の侵攻とその他外交交渉

1.946
ルクンジバール確保ブワイフ内でジバール以東はルクンの切取り次第となる
ホラーサン総督アブーアリー反乱、カリフの承認を得る
サーマーン朝君主はカリフの権威の代替として、マリクを自称
ブワイフ内でのマリクについては1章の表を

 

1.948-949年
ホラーサン総督イブン・カラータキーンのジバール侵攻

ジバールの半分を抑えられ、カラータキーンの死によって収束

結果:領有の承認と以前のサーマーン朝の代官以上の貢納金を課される

2.953-954

ホラーサン総督アブー・アリーの侵攻
冬で停戦後、讒言によりアブー・アリージバール政権に亡命
防衛の成功と、カリフの仲裁によりホラーサン総督との和平が成立。
結果:以前通りの貢納金を課される

3.955-956

ホラーサン総督アブー・バクルの侵攻

防衛に成功
kamilによればカリフの関与によりホラーサン総督との和平が成立。(別伝承あり)
結果:ジバール全土とライの領有権を認められた上で、貢納金を課される

 

以後カリフは関与せず、交渉もホラーサン総督ではなく、サーマーン朝君主と行われるようになる。

4.967

ホラーサン総督イブン・シームジュールの侵攻

防衛に成功

結果:972.姻戚関係を結び贈答品を送り合う、貢納金を課される

 

5.981-982

アドゥドに対する内乱の首謀者が亡命した際の引き渡し交渉
締結時にサーマーン朝君主の署名と高官の証言を求める。

1~3の時期はサーマーン朝に対して下位に立っているが

5の時期には対等の立場で臨もうとしている姿が確認できる。

 

 4章


先行研究では"王冠の書"から「親ペルシア的傾向」ペルシア王権の復興とイスラムの融合を主張

問題点「親ペルシア的傾向」を強調しすぎている。ダイラムとペルシアは余り親和性がない。また、3章までに述べてきたように、アドゥドは反ダイラムではない。


・王冠の書について


 ・ダイラムの習慣

 ・ダイラム・ジール諸侯の家系(血統)

 ・980年までの歴史


・執筆について

 アブー・イスハーク・アルサビがアドゥドの要請にて執筆
アドゥドにより加筆、修正、削除が行われた

 

・内容について

ダイラムの系譜は
1.シールジーラーワンド

サーサーン朝バフラーム・ジュール(バハラーム5世)の後継
アドゥドに連なる

ジールの系譜は4系統

1.バーワンド(シャー・ハン・シャー)
ブワイフ一家の元で活躍する将軍の系譜
 →アドゥドと姻戚を結ぶ
ズィーヤル朝君主の系譜

2.ファーラーワンド

3.キーラーンアダーワンド

4.ハスナーワンド

2.3.4にも配下のジール将軍などの系譜を含む

ダイラム、ジールの双方の系譜を引き継いだブワイフ家の系図が表現されている。

また、1.のズィーヤル君主が1.のほか有力諸侯を引き留められなかったことが王冠の書に記載されていることが示される。

・時期について

977-978に執筆依頼~執筆開始
979-981完成

・執筆時期の政治状況

976-979 イラク・ジャズィーラ方面の戦役(イッズ・ハムダーン朝)
977-978    執筆依頼~開始
979-981    完成

980   ジバール遠征(ファフル)
981        ズィヤール朝遠征 (ファフル)

・王冠の書の目的

ファフル・アッダウラとその背後、ズィーヤル朝とその支持基盤たるダイラム・ジー

更に、自らの支持基盤たるダイラム・ジールに対する政治パンフレット

これから行われる遠征を前に、ダイラム・ジールからの支持を必要とし、

また、それを獲得するための方策であった。

 

感想

ここまででひと塊。

4章までで

ダイラム・ジールからの支持や承認が重要で、実際に重要視することと

それを排除したいと考えること自体は、同時に成立しうると思うのだがどうなのだろうかと。もちろん何も知らないし、まだ途中なのでアレだが。続けて読む。