池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

フィリオクェ問題

 この問題はどの立場で書かれていても、行き過ぎた馬鹿はどうにもならないものだなぁなどと過去の教皇庁とかフランク人とかに不敬なことを考えてしまう「事件」である。

 この文言が後世に変更を禁ずるという公会議に反して挿入(捏造)されたのは誰がどう見て、考えても明らかだからなのだが、歴史的経緯はなかなか救いがたい展開になっている。そもそもローマもこの挿入には反対していたのに結局変更は時代の要請とかわけのわからん言い訳でお茶を濁して文言の変更を認めてしまった。


 まぁ、おおよそこんな理解しかしていなかったこの問題なのだが、久松英二ギリシア正教 東方の智」を読んでいると色々とこの問題も少々望まれるべき方向へ進展しているらしい。
特にカトリック内部の動きが面白かった。


・1981年3月25日、教皇ヨハネ・パウロ2世が全教会対して発した教皇書簡において、ニカイア・コンスタンティノポリス信条をフィリオクェなしの形で引用している。
・1995年6月29日、コンスタンティノポリス全地総主教ヴァルソロメオス1とローマでミサを行った際ギリシャ語でフィリオクェなしで信条を唱えた。
・2000年8月6日、ラッツィンガー枢機卿(現ベネディクト16世)が教理省宣言に於おいてニカイアコンスタンティノポリス信条をフィリオクェ抜きで引用している。

 久松英二ギリシア正教 東方の智」講談社メチエ 2012年 p186-p187より作成


このまま押し通すものだとばかり思っていたのだけれど。
個人的な見解としても削除すべきだと思いますよ。