池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

匿名、実名

私が見たくない情景は以下のとおり。

 当事者の家の前に集まる各社報道陣。道路は彼らが占拠しており、だれも見られずに家に出入りはできない。
誰かがインターホンを押し玄関から家族なり、当人なりが家から出てくる。
一斉に焚かれるフラッシュと、記者の統制の取れない野次にも近い質問の声。
その大音声が落ち着き、1つの質問が投げかけられる。

ようやく、そしてたどたどしくその質問に答えていく人。フラッシュは散発的だが止まらない。
やっとの思いで返答を終えた人に対してかぶせるように次の質問が飛ぶ。これが繰り返され、彼らが満足するまでこの行為が続く。

ご近所でも取材は続く。会ったことはあるか、最近変わった様子はないか。どんな人か。

たぶん、このような光景が続くのであろう。このような醜悪な行為が行われるのは見たくない。
それでもおそらくは行われているのだろう。


想像するだけで不愉快極まりない。

 オリンピックの金メダル、ノーベル賞直木賞芥川賞の時に報道される"ご家族の喜びの声"などというコーナーを見ていても吐気がするほど醜悪な取材だというのに、これがこの度のような人の死に関わる問題なら尚更醜い、人道に反した光景が広がっているだろう。

これが殺人事件の両親とかになれば更に醜悪でおぞましい取材が行われるだろうことは想像に難くない。


 これが、人格的に優れ、思慮深い一人、もしくは少数の記者によって、相手の時間、心情に寄り添った取材が行われるというのであれば、それは大いに行われるべきで、それこそが報道の使命だとも思う。

だが、現在の日本の報道事情を鑑みれば、そのようなことは商売的にまず間違いなく不可能であろう。




実名、匿名ということについては正直第三者の自分からすると、たいして意味を持たない。当事者であれば、既に知っている。もし友人であれば、自分のツテで知っている人を探し出せるはずだ。だから、単純にマスコミの取材対象の人が、余計な心労を負ってないかの方がより気になってしまう。
そしてたぶん、取材対象になった人物は最悪の日々を過ごすことになるのだろう。


日本陸軍ではないが、共同通信の取材のみを認めるといったような、取材規制をかけることが出来るなら、実名報道も構わんよと言う人はいるんじゃね。

あと、最後に、事件の再発防止ほかに、報道の実名匿名は何の関係もない。


適当に書いたので文構造糞だね。ごめんね。