駅裏のハローワークに提出する書類があったのでついでに少し足を延ばして
実は一度も行ったことの無い鶴羽根神社に行ってきた。
入口の鶴羽根神社由緒によれば、大ざっぱに
創建は元久年間(1204-1206)、源"三位"頼政公の室の遺言により池田左衛門が建立、池田家が神主職を世襲したが、戦乱により規模を縮小、万治2年(1659)に断絶
二年の空白を経て明星院(真言寺院)の援助で再建、野主家が代々祠官となるが、退転により文政7年(1824)石井眞澄が祠官となり以下世襲
その後浅野家の庇護を受けつつ、明治の神仏分離で明星院より独立、今に至る。
原爆により一切倒壊するも、焼失は免れ、石ノ太鼓橋、境内の松、石鳥居、唐獅子、石灯篭は無事。
現在の神殿、拝殿、社務所は石井博充宮司と氏子らの協賛で規模は縮小するものの再建
なお、昭和の御代に伊邪那岐、伊邪那美の二柱を新たに奉斎し神前結婚式を広め、挙式披露宴に関するすべての設備を整備したのは当社が濫觴(はじまり)
と書いてある。適当に読んで書いてるので正確には実際に読んでほしい。
以前の池田家、野主家をあまり評価せず、石井家を評価する様な記述がみられる。
神前結婚式の形式等を最初に組み立てたのはウチですという自負や。伊邪那岐伊邪那美は昭和から祀っているという記述からは正直者感もあり味わい深い。
ここだけで結構時間を使ってしまった。
非常にシンプルで、かつ立派な神社である。
再建物か、エラい新しい鳥居の足に紀元2600年(皇紀2600年西暦1940昭和15年)の文字
後ろの唐獅子は挙げられていた被爆物であることから、劣化具合が違いすぎる。
また石碑が立っているが文章はだいぶ摩耗していて読みづらく、また
読んでいない。
篆書っぽい題字が書いてある。一文字よくわからないが
翼山石井?生碑
かな?
生碑は軽く調べると存命人物を顕彰する碑とのことだが・・・。
石井家にかかわる誰かを顕彰したものなんだろう。
事績を記録するのは良いことだ。
こういうものをすらすら読める教養を身に着けたいものだ。
手水場で清めてから参拝して帰った。
次提出するものが在ればここで言及されていた明星院に行くことにする。