池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

620年 「ヘラクレイオス、公用語をラテン語からギリシア語に変更」について

記事経緯の前に現時点での見解。

公用語化→誤解を招く表現。ただしギリシア語優位の傾向は当然存在 
620年  →出どころ、出典不明、謎過ぎて困っている。元ネタ知りたい

ja.wikipedia.org

このwikipediaにおいて

中期(610年頃 - 1204年)
危機と変質 (7世紀 - 8世紀)

の項
”全体として東ローマ帝国領内におけるラテン語使用が時間と共に低迷する潮流は変わらなかった。ヘラクレイオスはこの変化を公式に認め、620年にはギリシア語が公用語であることを承認した[2][53]。”
と記述される。


引用、または注釈として以下二つが示されている。
[2]Davis 1990, p. 260.

Davis, Leo Donald. The first seven ecumenical councils (325–787).Liturgical Press.1990 p260

[53]尚樹 1999, pp. 330-331
尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会 1999


該当ページを読む機会を持てたので、いざ読んでみると

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Davis, Leo Donald. The first seven ecumenical councils (325–787).Liturgical Press.1990 p260

ラテン語からギリシア語への公用語の変化は自明として書かれており、典拠はない
また620年の文字は見えない。そのうえ、この文の主題は公用語の変更には無い
これを引用に書く神経が理解できない。

続けてもう一つの典拠を覗くと

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尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会 1999,p330-331

こちらはギリシア語の公用語化についての解説文である。
しかし、前記の文献同様に620年の記載はなく、629年にイラクリオス(ヘラクレイオス)が”キリストの信者ヴァシレフス”を名乗ったとだけ記載するのみである。

また、この文章からラテン語からギリシア語に「公用語」が変更された、
とそのまま書いてある文として読むのは厳しい。
少し引用すると

 イラクリオスはこの事実を公式に承認することになった。
 その最も象徴的な例は皇帝の称号で象徴的な例は皇帝の称号で、
 これまでのラテン語のインペラートル・カエサルアウグストゥスに代わって、
 ササン朝ペルシアとの戦いに勝って(中略)
 凱旋した六二九年に、イラクリオスと彼の子の名で発布した法律の中で初めて
 <キリストの信者ヴァシレフス>という言葉を使った。


とあるのみである。そうすれば、公式な承認という言葉の中身は、単にギリシア語称号を使った文、ギリシア語で書かれた法令が[良く]見られるようになった。
という意味にとるのが妥当だろう。

公用語化という表現は、分かりやすく一般化しようとして、
逆に誤解を招く表現となった言葉といった風情

で、ここまでの参照からWikipediaの項目を見直すと、全体的に 尚樹氏の『ビザンツ帝国史』の内容を、あまり吟味せず、要約した様な内容であることに気づく。
更に[2]Davis 1990, p. 260.の注釈はこのwikiの文章を書く上で参考になる事実は殆んどない。
なぜこんなものを引用したのだろうか?
正直、Davis 1990, p. 260は参照してその手間を後悔する程度には失望した。

そして問題は620年

上記の2文献の何処にも出てこない年号である。

 


そして、尚樹氏の『ビザンツ帝国史』の内容からしても、629年の例が、
最も象徴的とあり、かつササン朝に対する勝利以後名乗るようになったと書いているので、620年はあまりに早い。

622年に最初の反撃に出陣するので、例えばその前に法律ではなく、ヴァシレフスと名乗って対ペルシア戦線を優位に運ぼうとした文書なりがあるのだろうか?なにか知る方が居れば教えてほしい。

また、英語でインターネット上を検索してみると

www.reddit.com

redditのスレッドで
"In 620 C.E., the Greek language was made the official language of the Byzantine Empire by the Emperor Heraclius. "
と書いている人がおり、sourceはWarren Treadgold, A History of the Byzantine State and Societyとある。

ホントかよ、と思い手元のそれをindexのlatin language,Greek languageを頼りに総覧してみたが、620年に関する情報は見当たらなかった。
これは自分の能力の問題もあり、見落としの可能性もあるが多分、書いてないと思われる。

暗礁に乗り上げた

ほかにも英語では、言語学の百科事典に記載があるらしい記述などを見つけることが出来たが時間と手間を考えるとこちらは参照は出来そうもない。

現状ここで力尽きたので、また何か情報獲たら追加で調べたい。


620年という数字の出どころについて、知る機会があれば知りたいと思っている。英語圏でも書かれていることから、(日本人が書いたというのでなければ)
何らかの種本があるのではないかという気もする。

620's(620年代)という表現を620(年)と勘違いしただとか、そんな感じの脱力系も想像されるが、どうだろうか。

元ネタアレだよ、と知っている方が現れて、苦労が水泡に帰しながらも、モヤモヤが晴れることを願って投稿する。

(620年の件追記 2020/7/21)

隙間時間にちょくちょくネットの海で検索しているのだが、

どうも英語圏でも620年説はわりと広範に流布しているらしく

en.wikipedia.org

(2020/7/21最終確認)
にてFrom 620 onwards(620年以降)との記載を確認。

特に注釈はついていないが、ページ全体のリファレンスに
Greek: A History of the Language and Its Speakers

と書かれている、念の為googlebooksで本文検索をかけるもヒットなし。
近日中に購入しようと思うので、実際確認するつもり。
(追記2020/11/4)

Greek: A History of the Language and Its Speakers

 入手して読んだが該当なし。
(追記ここまで)



また、

en.wikipedia.orgには以下の記述アリ。
Heraclius was changing the official language of the Empire
from Latin to Greek in 610[49]   [49] Davis 1990, p. 260.

610年との記載があるが、もちろん誤記であろう、ヘラクレイオスの即位が610年の10月なので無理があると思われる。
そしてこの文も[49] Davis 1990, p. 260.を参照しているようだ。


自分が読んだDavis 1990は並行世界のモノでそっちには書いてあるとかそういうSFモノなのだろうか?もしくは誤読してる・・・?

未解決・・・また、何か見つけたら書く。