池塘春草夢

長文になるときに使う、テキトーに。

大阪都構想とか

選挙終わったあとで書くのもナンだけど、大阪都構想の先行きは結構注目してる。


 この選挙の結果で、大阪都というものが推進、成立したときに、戦後に進められてきて、平成に完成を見つつある「市町村合併」というもののメリットと、デメリットというものが、はっきりとこの試みの上に見えてくることになるだろうから。


 大雑把に言って市町村合併という試みは共同体が失った力を、権限を委譲し、効率化とその見返りで、すなわち金で解決しようとする試みといえる。人は外部にいろいろなものを委託して行くことで自由を手にしてきた。この個人の時代に共同体がこれまでの役目を果たしていけなくなりつつあるのは当然とも言える。


 行政サービスにかかる費用の一部を自警団や消防団、町内会、家族等の共同体が肩代わりしてきた。習慣や思想の変化によって共同体の役割に参画しない個人が増えればその分行政サービスの費用は増加する。

 軍隊における勲章であったり今でもあらゆる機関が与える各種の勲章や表彰による名誉、もしくは個人の倫理観などから醸成される誇りや自負といったものが彼らに支払われるべき報酬を引き下げてきた。そうした引き下げがなければ、そもそも費用は常にマイナスになるはずだ。労働者がその労働に見合う報酬を受け取ることが出来る事業など存在するわけがない。
 

 自由を享受するならそれに見合う負担を受け入れる必要がある。では望むべき自由の範囲はどこにあるかということが問題になるはずではないのか。

 ただまぁ今回のこの都構想はなんとも特殊な市町村合併ではある。特別区の権限は政令市と比べて少ないので権限を剥奪されるといえる地域が存在することになる。区長の選挙権については東京での経過を見るにさすがに公選にはなるのだろうが、わざわざ合併する意味が政令2市(の住民)にどれほど存在するんだろうか?という問題はどうにも否定できない。
大阪府としてはこの構想自体にソンはないだろう。

 ここらら辺は宗教和議以降にドイツの領邦領主が帝国自由都市を取り込んで力を拡大したことも思い出される所ではある。そして自由都市の権限は制限された。

 がしかし、そうした政令市の権限低下も、府域全体の効率的整備が実際に行われうるのであれば(全体として)帳消しにできる可能性もないわけではない。道路、鉄道、港湾、空港、上下水道、電力設備や、各種行政サービスが効率よく大規模に整備されればその効果は計り知れない。
もちろん戦前の日本のようにある階層の忍苦のもとでの繁栄、という話になる可能性も十分にある。



 正直何とも言えない。そもそもこれまで出された提案自体が雑すぎて判断の仕様がない。なんか言うことコロコロ変わるし。



 個人的に橋下を支持はしていないし、市町村合併という考えは反対で、社会を維持するためにある程度の自由の制限を望むのが自分の立ち位置なのではあるが、なんともなぁ。


 この結果に関して選挙民を愚民とか表明したり匂わせたりしている人をちらほら見かけるのだけど何かいいことあるのかねというのが気になる。この先橋本が失点する(当人にとって)たびに「やはり愚民だった。」などと言いたいだけなんじゃないの?

 前回の国政選挙のあとで「やはり民主党はダメだった、騙された奴らはけしからん」と言っていた連中と同類なんじゃないの。選挙で裏貼りしてりゃ絶対言える言葉だもんね。任期中に人に誇れる業績や評価を受けることのできた人がこれまでにそんなに居ただろうか。
評価を受けれた人間は時流に乗れた人だけだ。明治の元勲たちも、時代が時代なら誰にも覚えられず消えていっただろう。ジャンヌ・ダルクはフランスの反撃と共に出たから評価された。神の声を聞いた少女なんてのはゴマンといたはずだ。

 独裁云々もよくわからん。人が独裁を嫌うのは、独裁者が暴君となった時である。そうでない時に人はそもそも政体など気にはしないだろう。リビアでも、エジプトでも中国でも歴史上に於いて独裁は常に許容されてきた。大多数の人間にとって。局面によっては大いに好意をもって受け入れられさえした。
 
 そもそも民主主義なるものは単純に言えば民衆が独裁者を選ぶ制度ではないか。ただ単純に、独裁者を罷免出来る機能が設けられているという点においてのみ、他の政体と異なり、また優れている。
 強力なリーダーシップと迅速な判断を求め、それを賞賛する(現職に無いという形で)一方で、そうした形の候補者には独裁だと表明することで、どれほどその発言者に対して失望を覚えるかわからない。


 個人主義能力主義をを深めていけば、橋下を支持するのはむしろ当然とも言える。弱者の切り捨て?結構、私の重荷は取り外され、さらなる自由が私の手に入るだろう。ただ、個人主義者が競争の世界で勝利することは恐らく稀だ。個人主義者はこの個人主義の化物の前で屍を築きあげることになるだろう。彼らが打破したと信じた共同体の前で。弱者として、自由の戦士として自由の体現者の前に倒れることになるだろう。

 説得のあり方が間違っている。NEETに対して働けばより快適な生活をおくることができると説くことがまるで無意味なのと同じように。

 思考の段階はあるにせよ、彼らは自分と相対した上で支持し、投票していると信じている。

 ただ、この選択の結果というものについてはおいおい判っていくはずで、それについて目を閉じず、考えていくことが、求められているすべてなんだろう。